春の高山祭屋台を鑑賞したい!
屋台の特徴を予習しておきたいな
今回の記事ではこのような声にお答えしていきます。
1708年に、飛騨で屋台が初めて登場。(神楽台が最初)。その後享保年間に八幡祭の行神台・神馬台・金鳳台などが次々と創建されていきました。
300年の歴史があり、動く陽明門と称される高山祭の屋台。事前に12台の屋台の見どころを理解することで、2倍楽しめます!
そこで今回は、飛騨高山祭り2025 (春の高山祭)の屋台の特徴や、鑑賞できる場所を詳しく解説していきます。
ちなみに唐子の人形が、2024年に老朽化に伴って新調されました!約50年以上ぶりとのこと!
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春の高山祭の屋台の種類・特徴や歴史
春の高山祭の屋台の種類・特徴や歴史をご紹介します。
①神楽台(かぐらたい)
1804年から1818年に四輪の屋台形にした。1854年の大改修により現台形となる。
1893年に改修。その後数度の改修が行われている。
嘉永改修工匠 | 彫刻:谷口与鹿 | 工匠:谷口延儔
明治改修工匠 | 塗師:田近宇之助 金具:井上芳之助 | 工匠:村山民次郎
構造 | 太鼓昇降 四輪外御所車 | 屋根無
屋台組 | 上一之町上組 |
御巡幸で、屋台の行列の先頭を行く屋台。神様と屋台が通行する道にいる、悪霊を祓う役割を持つ。
春祭りの屋台の中で唯一屋根のない屋台。上段には直径約1.2mの大太鼓を配し、太鼓に取り付けられた鳳凰一対が羽根を広げている姿は圧巻のもの。
もともとたった二人で太鼓を担いでいたが、1785年に黒漆塗りの荷車風に改修。
見送り幕はないが、剣旗が一対ついている。金刺繍で「無遺」「体物」と示されており、直訳すると「この屋台の後ろには何も残さない」という意味。
だが、転じて「あまねく神様の威光が隅々まで照らす」という意味で用いられている屋台です。
②三番叟(さんばそう)
1751年から1764年の創建。台銘は「恩雀(おんじゃく)」、1781年から1789年に翁操りを取り入れ「翁(おきな)台」と改銘。
1806年に雛鶴(ひなずる)三番叟の謡曲による操り人形に替え、台銘も三番叟となった。1837年に現在の台形に改造され、1918年と1966年に大修理が行われた。
天保改造 | 工匠:牧野屋忠三郎 彦三郎 |
構造 | 構造:切破風屋根 四輪内板車 |
屋台組 | 上一之町中組 |
春祭りでからくりが現存する3台の屋台の一つ。屋台の名は、「ひな鶴三番叟」の謡曲からつけられた。
見送り幕は「壽」(寿)の文字刺繍。鳳凰一対が屋根にあり、機関樋の先にからくりの三番叟人形がついている。
25本の手綱で操る童形の三番叟人形が、舞いながら橋樋の先端へ移動し聯台上にある扇子と鈴を持つ。開いている箱(面筥)に顔を伏せて面を被ると、翁に変身!童子の人形が、一瞬で翁に変身するのが見どころです。
屋台曳行順は、必ず「神楽台の後ろ」と決まっており、神楽台に後ろにつき他の屋台を先行する。なぜなら、「三番叟」が謡曲の中で一番最初の曲として演じられているからと言われる屋台です。
③麒麟台(きりんたい)
創建年代未詳。1784年の火災で焼失し、1806年に再建。翌年に「よしの静(しずか)」と改名。
1813年以前から組内に金森家から拝領した麒麟の香炉を保管していたことにより、「麒麟台」と改名された。1845年に大改修し、度々修理している。
弘化改修 | 彫刻(下段唐子):谷口与鹿(よろく) 彫刻(牡丹):中川吉兵衛 塗師:輪島屋藤兵衛 | 工匠:中川吉兵衛
大正改修 | 村山群鳳 塗師:田近卯之助 | 工匠・彫刻:
構造 | 四輪外御所車 | 切破風屋根
屋台組 | 上一之町下組 |
組内に金森家から受け継いだという麒麟の香炉を保管していたことから、麒麟台と名付けられた。
一対の麒麟を屋根飾りとして載せており、中段と上段の彫刻も麒麟の意匠である。
下段の唐子群遊彫刻は神技と呼ばれ、屋台彫刻中の逸品である。わずか5センチほどの板をくりぬいて彫り上げている技術に驚く観光客が多い。透かし彫りの技法で籠を先に彫り、隙間から中の鶏を彫ったものや、つなぎ目がない犬の鎖を鑑賞可能。
車輪は外御所車の形態で、きらびやかさが見事な屋台です。
④石橋台(しゃっきょうたい)
宝暦創建説と天明創建説がある。当初から長唄の石橋の操り人形があったため、台名もこれに由来。
1844年から1854年に改修。1863年に大改修し、旧台を古川町に譲った。
文久改修 | 工匠:畠中久造 彫刻(下段獅子):村山勘四郎 彫刻(中段彫り龍):浅井一之 彫刻(牡丹): 中川吉兵衛 見送り:朝鮮の段通 | 設計:村山勘四郎
構造 | 四輪内板車 | 切破風屋根
屋台組 | 市神明町西組 | 上二之町上組
春祭りでからくりが現存する3台の屋台の一つ。1892年にからくりの内容が風紀上よくないとされ中止されていたが、1984年に復活した。
からくりの内容は、濃艶(のうえん)な美女が踊っているうちに、狂い獅子に変身!その後は元の姿に戻り、両手に牡丹の花を持って千秋万歳(せんしゅうばんぜい)と舞いを納める構成。
見送り幕は、昭和の修理の時に朝鮮製の織物を見つけたため取り付けた。柄は、京都の祇園祭の鉾につけられているものと同じ柄で、(京都のペルシャ絨毯をあしらっている)段通と呼ばれる中国絨毯の流れを汲むものである。また、後面の彫刻を側面に持ってきている。
中段の、獅子の彫刻が見事。重厚で調和のとれた屋台です。
⑤五台山(ごたいさん)
創建年代未詳。1789年から1801年には「盧生(ろせい)」の台名で操り人形があった。1804年から1818年に改修し、中国名山の「五台山」と名を改めた。
1832年の火災で焼失後、1837年に再建。その後、度々改修された。
天保再建工匠 | 飛獅子彫刻: 立川和四郎 | 工匠:谷口延恭
明治改修工匠 | 村山民次郎 |
構造 | 四輪内御所車 | 切破風屋根
屋台組 | 上二之町中組 |
屋台の名は、中国の名山「五台山」から名付けられた。
飛騨の屋台では最も贅を尽くした屋台。中段の刺繍幕、見送り、彫刻などに多くの費用を投じている。
見送り幕の雲龍昇天図は、京西陣職工12人以上が製作に半年を要した大作である。幕を支える枠の金具も、金具中の傑作だと言われている。
下段の彫刻は、飛騨の屋台で唯一、立川和四郎富昌の彫刻がついている。彫刻のデザインは噛み獅子と呼ばれ、この獅子がついてから屋台を曳くのが軽くなったという伝承がある。
朱塗りの格子から回転する御所車が透けて見える点が特徴の屋台です。
⑥鳳凰台(ほうおうたい)
創建年代未詳。1799年に大黒天のからくりの人形を大国台に譲り、1807年には「迦陵頻(かりょうびん)」の名で曳行している。当時、「鹿島(かしま)」と呼ばれていたこともあったが、1822年に「鳳凰台」と改称。
1830年から改修を行なったが、天保3年の火災で焼失し、天保6年から8年に再建された。1875年に小修理。1962年から1964年に大修理。
天保再建 | 牧野屋忠三郎 | 工匠:原屋喜助
構造 | 四輪内板車 | 切破風屋根
屋台組 | 下二之町中組 |
春の屋台の中で唯一、屋根に鉾(ほこ)を付けている。鉾までの高さをあわせると、最大サイズの屋台。
大きくなったがゆえに、町の屋根にぶつけないよう高欄がスライドする構造を持っている。現在も、軒が低い高山の町を練り動くときに高欄を広げ、町並みの庇(ひさし)による破損を防いでいる。屋台蔵に入る時は、高欄を引っ込める。
全体に堅牢で、金具も目立たなくして木材の美しさを強調している。外観は地味であるが、螺鈿や七宝が使われており細かい部分に費用をかけている屋台。また、全体的に堅牢&金具も目立たなくしているため、木材の美しさを強調している。
実は、見送り幕の裏に龍の絵が隠されている。また、鳳凰台にはかつてからくり人形があったが大国台に譲った。
屋根の中央には長めの赤木白毛の鉾が建てられており、赤・青・黄色のオランダ製のめずらしい大幕が目立つ屋台です。
⑦恵比須台(えびすたい)
創建年代未詳。1764年から1772年、越前宰相(さいしょう)より大幕などが下附されたことは、高山富裕町人の大名貸を想起させ、当時すでに屋台があったことがわかる。初めは「花子(はなこ)」と呼び1810年に殺生石(せっしょうせき)の操り人形に替えて「殺生石」と改名。
祭神に恵比須神を祀ることから「蛭子(えびす)」と呼ばれることもあったが、1844年頃から「恵比須台」となった。1846年から3年間をかけて大改造。1885年、1968年修理。
弘化改造 | 谷口与鹿 彫刻:谷口与鹿 | 工匠:谷口延恭
構造 | 四輪内板車 | 切破風屋根
屋台組 | 上三之町上組 |
名工・谷口与鹿の親子龍・手長足長像が有名。見送り幕は、幡見送りと言われる形式で「オランダからの密輸品」として伝わる貴重なものである。
なぜなら、近年の研究により、文化・文政時代に京都で流行した異国絵の一つ&西陣にてゴプラン織りされたものだと認められたから。「異国婦人の川遊び」の風景であり、川の上流には教会が描かれている。
平成になってようやく完成した屋台が多い中、恵比須台は江戸時代から「完成型屋台」として他の屋台組の完成モデルとされていた。
また、屋台が700両で完成する時代でしたが、金具に1250両(現在価3億円)もの純金を注ぎ込んだ豪華な屋台です。
⑧龍神台(りゅうじんたい)
創建年代未詳。1775年に弁財天像に猿楽を舞わせたという記録があり、1807年の屋台曳順の「龍神」の台名がみえる。同時期に、竹生島(ちくぶしま)弁財天にちなみ、「竹生島」とも呼ばれた。
1815年に改造し、1846年に修理。1880年から3年かけて再改造し、唐破風屋根を現在の切破風に替えている。1966年に、半丸窓上に龍彫刻が取り付けられた。
文化改造 | 工匠:谷口紹芳 |
明治改修 | 谷口宗之 塗師:小谷屋正三郎 | 工匠・彫刻:
構造 | 四輪内板車 | 切破風屋根
屋台組 | 上三之町中組 |
竹生島の龍神にちなんで、龍神台と名付けられた。
32本の手綱で操る、龍神のはなれからくりが見どころ。八尺余りの機関樋の先端に、唐子が壺を運んでくる。その壺の中から、赤ら顔で怒った龍神が出てきて、紙吹雪をあげ荒々しく舞う構成である。
見送りと替見送りの両方がある。本見送り幕は、(本楽祭)久邇宮二品朝彦親王書。替見送り幕は、(試楽祭)望月玉泉筆 龍の絵である。
中段には木鼻などに飛龍の彩色彫刻が施されており、大変豪華な趣がある。側面には、極彩色の飛龍が木鼻の所にあしらわれており、大きな羅網が下げられている。
⑨崑崗台(こんこうたい)
創建年代未詳。1774年の組内古記録があるが、1807年には「花手(はなて)まり」の名で曳行をしている。その後、「林和靖(りんなせい)」と改称。
中国にある金銀の産地「崑崗(こんこう)」にちなみ、「崑崗台」と改称。1849年に大改造。1934年から1936年、1966年に修理。
嘉永改修 | 塗師:島田屋小三郎 | 工匠:上野屋宗次
構造 | 四輪内板車 | 切破風屋根
屋台組 | 片原町 |
1830年~1844年頃までは、中国の故事により林屋台正面に、和靖(りんなせい)と唐子のからくり人形があった。
屋根の上にある宝珠は「崑崗」が中国随一の金銀の産地であることに由来し、金塊をあらわしている。
また、見送り幕には中国産の刺繍で寿老と鹿が描かれている屋台である。
⑩琴高台(きんこうたい)
創建年代未詳。1807年に「布袋(ほてい)」の名で曳行された記録がある。1815年に、飛騨の漢学者赤田臥牛(がぎゅう)が「支那列仙伝(しなれつせんでん)」から「琴高、赤鯉に座し来る」の故事を引いて現台名に改められた。
1838年に、組内に居住していた谷口与鹿が中心となり大改造。1893年、1957年、1966年に修理。
天保改造 | 谷口与鹿 金具: 伊勢屋治左衛門 塗師:輪島屋儀兵衛 | 工匠・彫刻:
構造 | 四輪内板車 | 切破風屋根
屋台組 | 本町1丁目 |
鯉(コイ)をモチーフとした屋台のデザインが、独自の雰囲気を醸し出している。鯉魚と波を刺繍した大幕、伊達柱には、黒塗地に鯉の滝昇りの金具を打っている。欄間にも与鹿の鯉魚遊泳の彫刻があり、まさに鯉づくしの意匠となっている。
屋根上には飛龍の飾りが前後にあり、大きな瓔珞を提げている。高さがあるため、飛龍が空を舞っているように見える点が魅力。
琴高台は本見送りと替え見送りの、両方を持っている。本見送りは、垣内雲燐作の琴高仙人図(1893年作)。替え見送りは、徳川16代家達公の書で琴高仙人の漢詩書幅(1927年)である。
1910年〜1934年まで催されていなかった夜祭。しかし、琴高台が呼びかけたことで余興として復活!現在も、夜祭が行われるきっかけになった屋台です。
⑪大国台(だいこくたい)
1796年に創建され、日枝神社の宮寺松樹院にちなみ、「松樹(しょうじゅ)台」の名で曳行していた。1799年に、鳳凰台組から大黒天像を譲り受けて「大国台」と改称された。1847年に大改修。
1883年、1924年、1964年に修理。1796年に鳳凰台組より大国天を譲り受け、祭神として祀るようになった。「松樹台」を「大国台」と改名し、1924年に現台形になる。
弘化改修 | (しゅんこう) | 工匠:石田春皐
構造 | 四輪内板車 | 切破風屋根
屋台組 | 上川原町 |
大国台屋台のクジで決める曳行順が早いほどその年のお米は高くなり、遅ければお米が安くなるという言い伝えがある。
からくり祭神として祀る大黒天は、鳳凰台の頃は腹中から七福神が舞い出るからくりだったが、今やその機能を失ったからくりの名残がある。首筋に糸が残っているため、曳くと首を振る。
屋台曳きの法被は、リバーシブルになっている。さしこ半纏の裏生地には、見事な龍が刺繍されている。
大国台の屋台は工夫を凝らした構造。上段柱と屋根の棟が違う動きをし、しなう動きを出している。伊達柱と上段縁・上段柱と屋根が、前後左右にゆらゆらと揺れる美しさが魅力の屋台です。
⑫青龍台(せいりゅうたい)
創建年代未詳。1766年に存在した記録あり。1807年に「道成寺(どうじょうじ)」の名で曳行し、娘道成寺のからくりを演じた。1815年に改修。
1832年に火災で焼失し、1851年に再建。この頃、台名が「青龍台」に改められた。1890年に大改修。1907年修理。
明治修理 | 工匠:船坂栄蔵ほか |
構造 | (いりもやづくり) 四輪内板車 | 入母屋造の屋根
屋台組 | 川原町 |
青龍台の屋台組は、日枝神社膝元の重要地区にあったため、祭事を主宰する特権を持っていた。実際に、1891年頃の夜祭の曳行順は「殿」番で最後尾とされていた。しかし、1891年以降はクジで順番を決めている。
屋台曳き揃えでは、棟上げをすることで屋根を高くできる。屋台曳きの法被は、消防の火消組を上川原町・西町と組織していたため大国台組と同じ。
他の春の屋台には無い、三段構造と天守閣型の屋根(入母屋造)であるため異なる趣を出している。最上段には人は乗ってはいけない習わしになっており、屋根は高山城の本丸(天守閣)を模している。
中段は、紺地に金の刺繍。中段高欄には、牡丹の彩色彫刻。下段高欄には、龍の白木彫刻がある見事な屋台です。
春の高山祭の屋台が鑑賞できる場所
春の高山祭 | (4月14日・15日) ・からくり奉納 (4月14日・15日) ・夜祭 (4月14日夕方のみ) | ・屋台曳き揃え
春の高山祭では、4月14日のみ行われる行事があるため時間帯によって屋台を鑑賞できません。お気を付けください。
14日の夜のみ観覧する方は、夜祭しか見るチャンスがありませんよ!
そもそも春の高山祭の内容・歴史とは?
- 享保三年から続く祭である(300年以上の歴史)
- 12台の屋台が、国指定重要有形民俗文化財に登録された(1960年)
- 国指定重要無形民俗文化財となった(1979年)
- 「高山祭の屋台行事」として、ユネスコの世界無形文化遺産に登録された(2016年)
高山に春の訪れを告げるの春の高山祭(山王祭)は、旧高山城下町北半分の氏神様である櫻山八幡宮の例祭。
毎年4月14日・15日に開催されます。高山祭とはこのふたつをさす総称で、日本三大美祭のひとつに挙げられています。
祭の起源は飛騨の領国大名金森氏の時代(1585年から1692年)、屋台の起こりは1718年頃といわれ、巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や仕掛けが施された戻し車など、匠の技が生きています。
高山祭の屋台の歴史
600年間ものあいだ、飛騨の国は大和朝廷へ「税」のかわりに匠(たくみ)を毎年100人〜150人送り出していました。匠たちは、奈良の都の宮殿やお寺の建築に従事して腕をふるい、「飛騨の匠」と呼ばれるように。
飛騨の国には、今も匠たちの永い伝統と培われた技術が脈々と受け継がれていますが、江戸時代後期に花開いた技術が高山祭の屋台です。
木工・塗り・彫刻・金具・織り・染め・絵画・人形に飛騨の匠がこだわった結果、最高のかたちを屋台でつくり出しています。
屋台が火災や破損によって改修される度に、他の屋台組には負けまいと、凝った装飾が考案され形態も少しづつ変わっていきました。
高山にいくつも「屋台組」があるのはお互いをライバル視していたから!
春の高山祭行事の時間・スケジュール・見どころを紹介!
下記のスケジュールで開催する、春の高山祭行事の見どころをご紹介します。
春の高山祭で、屋台や行事を見ることができる時間帯(スケジュール)はこちらです。
屋台曳き揃え | 14日 9時30分~16時00分頃 15日 9時30分~16時00分頃 ※御旅所と神明通りにて公開 |
からくり奉納 | 14日 ①10時00分~10時50分 ②14時00分~14時50分 15日 ①10時00分~10時50分 ②14時00分~14時50分 ※日枝神社 御旅所にて公開 ※約50分間の披露 |
御巡幸 | 14日 13時00分~16時00分頃 15日 12時30分頃~16時00分頃 ※日枝神社を出発・16:00頃にお旅所到着 ※雨天時は、それぞれの屋台蔵・屋台会館にて公開 |
夜祭 | 14日 18時00分〜21時00分 ※約2時間の披露 |
効率よくまわるために、事前に見たい行事をチェックし行動計画を立てることがおすすめ!
御巡幸
御巡幸(ごじゅんこう)とは、闘鶏楽(とうけいらく)、裃姿(かみしもすがた)の警固など伝統の衣装に身をつつんだ総勢100名の大行列。お囃子や雅楽などを奏でながら町を練り歩きます。
「カンカコカン」のリズムで舞う祭舞踊や獅子舞など、まるで歴史絵巻を見ているようだと大人気!
4月14日は午前に日枝神社を出発し、氏子の家々を巡り御旅所へ。15日は午後にお旅所を出発し、日枝神社へ帰ります。タイムスリップしたかのような光景が見ものです。
日枝神社周辺が、写真映えスポットです!
屋台曳き揃え
春の空の下に、各町内の屋台蔵から曳き出された屋台が揃えられます。国の重要有形民俗文化財に指定された、きらびやかな屋台12台は圧巻の光景!
4月14日・15日とも、神楽台・三番叟・龍神台・石橋台の4台は中橋西詰めの御旅所前広場に。春の高山祭といえば、桜の名所でもある赤い「中橋」を通る屋台なので必見です。他の8台の屋台は神明通りに登場。
屋台彫刻や見送幕、構造の細部まで鑑賞できる機会とあって屋台を見た瞬間に感嘆の声が漏れるはず。
絢爛豪華な屋台は、抜群の写真映え!
からくり奉納
日枝神社の御旅所では、4月14日・15日とも1日2回、三番叟・石橋台・龍神台によるからくり奉納が披露されます。匠の技を感じられる点が見どころ。
複数の人形師が、綱(糸)を操り繊細な演技を披露します。綱さばきによる動きとは思えない、人形たちの演技に魅了されますよ!
それぞれの屋台によって演技内容が異なるため、演技中は歓喜と笑いに包まれます。精巧な動きが魅力的なからくり奉納は意外と短時間なので、見逃さないように注意しましょう。
3台がからくりを披露するので、場所取りはお早めに!
夜祭(よまつり)
4月14日の夕方から始まる夜祭は、観光客の気分が最高潮に達する大イベント。約100個の提灯を灯した屋台が町を巡り、一巡りしたあと各屋台蔵へと戻ります。
ゆったりとした伝統の曳き別れ歌「高い山」を歌う祭囃子が見もの。夜祭が催行される時、赤い中橋のライトアップは休止されます。
漆黒の中に提灯の灯りが浮かび上がる幻想的な雰囲気と美しさはまた格別です。ゆらゆら揺れる灯りが闇夜に映え、春の情感をかきたててくれますよ。
提灯を灯した屋台が幻想的な雰囲気です!
春の高山祭のやし(出店)の出店場所は?
お祭りで「屋台」というとたこ焼きなどの「露天」「出店」「香具師」を思い浮かべる方が多いはず。
鍜治橋より北側の本町通りに、まとめて出店しています。
ちなみに高山祭では「屋台=祭屋台」なので、出店のことを「やし」と呼びます!
たくさん、食べ歩きグルメがありますよ!
春の高山祭の交通規制・駐車場について
春の高山祭では、屋台が曳き揃うエリアの交通規制を理解する必要があります。
当日、屋台を見る場所や駐車場を何時間も探す羽目になった…と、後悔しないよう事前に下記の記事で情報をいれておきましょう!
\春の高山祭りに行くなら必見の内容!/
まとめ
今回の記事はいかがでしたか?
毎年4月14日・15日に開催する、春の高山祭が楽しみですね!様々な魅力をもつ12台の屋台の情報を頭に入れて鑑賞してみてはいかがでしょうか?
祭の当日を、楽しく過ごすお役に立てば幸いです。
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