秋の高山祭屋台を鑑賞したい!
屋台の特徴を予習しておきたいな
今回の記事ではこのような声にお答えしていきます。
1708年に、飛騨で屋台が初めて登場しました。(神楽台が最初)
その後、享保年間に八幡祭の行神台・神馬台・金鳳台などが次々と創建されていきました。
300年の歴史があり、動く陽明門と称される高山祭の屋台。事前に11台の屋台の見どころを理解することで、2倍楽しめます!
そこで今回は、飛騨高山祭り2024 (秋の高山祭)の屋台の特徴や、鑑賞できる場所を詳しく解説していきます。
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秋の高山祭の屋台の種類・特徴や歴史
秋の高山祭の屋台の種類・特徴や歴史をご紹介します。
①神楽台(かぐらたい)
1708年以前に金森重勝(左京)から寄進されていた大太鼓を、荷車風のものにのせ、獅子を舞わせて祭礼に巡行。1718年には氏子の有力者風井屋長右衛門が神楽台を新調。
1815年に大改造。1848年から1854年に修理。1904年に現在の台形に改造された。1934年、1966年修理。
文化改修設計 | 田中大秀 |
工匠 | 風井屋長右衛門 |
明治改修工匠 | 村山民次郎 |
構造 | 太鼓昇降 四輪外御所車 | 屋根無
屋台組 | 八幡・桜町 |
屋台の行列の先頭を行く屋台。
秋祭りの屋台の中で、唯一屋根がない屋台です。上段には大太鼓を配し、総飾りをくわえた鳳凰一対が羽を広げる姿は圧巻。
飛騨国の国主、「金森家」が寄進した太鼓を乗せているせいか、1861年から1864年に他組のねたみをうけ、大太鼓を鎌で切りつけられたと伝えられています。
太鼓の上にある3本の御幣は、天照、八幡、春日の3神を表しています。
②布袋台(ほていたい)
創建年代未詳。1781年から1789年には、布袋のからくりが行なわれたと伝えられている。
1811年、現在の台形に大改修。1912年、1960年、1967年修理。
文化改修工匠 | 古田与兵衛 |
彫刻 | 中川吉兵衛 |
構造 | 四輪内板車 | 切破風屋根
屋台組 | 下一之町上組 |
秋祭りの屋台で、唯一からくりが現存する屋台。
からくり人形の2人の唐子が3本の棒を回転しながら渡り、布袋様の両肩に乗る離れ業を披露。(綾渡りと呼ぶ)
9人でからくり人形を36本の手綱で操るので、複雑巧妙で離れからくり人形の中でも日本最高だと呼ばれている。
男女2人の唐子が5本の綾(あや)(ブランコ)を回転しながら飛び伝い、先端にいる布袋和尚の肩に乗る。その後、布袋の左手の軍配の中から「和光同塵(わこうどうじん)」と書いたのぼりが出る構成。
鳥居形の出入口や、下段の上部が中段の役目をするなど、文化年間以来小修理しか行なわれていないため、台形に古趣を豊かに残した屋台です。
③金鳳台(きんぽうたい)
創建年代未詳。1818年に再興され、1851年から1854年に改修が行なわれた。
1818年に再興し、神功(じんぐう)皇后、武内宿禰(たけうちのすくね)の飾り人形の修理も行われた。1852年に改修。その後数度の修理を行っている。
嘉永改修工匠 | 角竹茂助 |
文政再興工匠 | 古田与兵衛 |
構造 | 四輪内板車 | 切破風屋根
屋台組 | 下一之町中組 |
棟飾りとして、台名を象徴する金地の鳳凰が翼を張っている。中段には、四条派風に四季の草花が描かれ、人形の竹内宿禰が抱いているのは応神天皇です。
初期の屋台ではあるものの、その後破損し、1818年にできたのが現在の屋台。しかし、初期屋台の優美さを継承しているため、再興当時の初期の屋台の風格をしのぶ優美な屋台である。
高山の屋台の基本の形をなしているので、屋台を改造する時には、金鳳台を参考にしています。形態の美しさは他の屋台にはないと言われるほど、屋台の均整がとれています。
④大八台(だいはちたい)
1804年から1818年に文政台組と分かれ、1818年に高山で最初の3輪の屋台として創建された。
1908年、1955年、1971年修理。
文政創建工匠 | 光賀屋清七 |
塗師 | 輪島屋儀兵衛 |
明治改修工匠 | 村山民次郎 |
構造 | 三輪外御所車 | 切破風屋根
屋台組 | 下一之町下組 |
高山の屋台で最初に誕生した三輪屋台。その内の二輪は直径1.56mあり、屋台の中で最も大きな車輪を持ちます。
重量と安定性のために、台輪の外側前方に大きな車をつけ、内側後方に小車をつけ回転が容易になっています。
また、屋台の中で唯一、中段が御殿風の吹き抜けとなっているため楽人が演奏する姿を鑑賞できます。
屋根飾りには両端に八幡、春日大神を表す大金幣束が立ち、優美な姿を鑑賞可能。また、屋台囃子(ばやし)の名曲「大八」はこの組の作曲で、他の多くの屋台組でこの曲を崩して使っています。
⑤鳩峯車(きゅうほうしゃ)
1747年以前の創建の古い屋台。当時は「大津絵(おおつえ)」という台銘で「外法(げほう)の梯子剃(はしごそり)」と呼ばれる福禄寿と唐子のからくり人形があった。1826年に大破のため休台し、1837年に再建された。この時に4輪から3輪御所車となり、八幡宮にちなみ台銘も「鳩峯車」と改められた。
1854年から1860年も大破し休台。1867年に修理、1894年に大修理。その後も数度の修理を重ね現在に至る。
天保再建工匠 | 牧野屋忠三郎・彦三郎 |
慶応改修工匠 | 谷口与三郎宗之 |
明治改修工匠 | 村山民次郎 |
構造 | 三輪外御所車 | 切破風屋根
屋台組 | 下二之町上組 |
3輪の屋台。見送り幕、胴掛け綴錦織(つづれにしきおり)は高価なもの。天保再建の際、購入されました。
装飾が豊かな贅沢な幕を、四方に掛けている屋台は他の屋台にありません。見送り幕を2枚所有しており、10月10日のみ「本見送り」を掛けます。
特に、中段の全面には雲龍、側面には明人遊苑図の刻糸幕、後面見送りはササン朝モードの樹下仙人美人図の垂幕であり、稀品と言われています。
⑥神馬台(じんまたい)
1718年に「高砂(たかさご)」の名で曳行したといわれる。1769年に改造。1816年に神馬の人形を新調し、この頃から「神馬台」と呼ばれた。
1830年再改造。1854年から1860年、1902年に修理。その後も数度の修理をして現在に至る。
構造 | 四輪内板車 | 切破風屋根
屋台組 | 下二之町中組 |
他の屋台のような見送り幕を唯一使っていない屋台。
ミツウロコ状の青い大幕に刺繍された、大般若(はんにゃ)面が印象的。全体的に、赤ではなく青のイメージの屋台である。
屋台の四方に、四神(朱雀、白虎、玄武、青龍)を配しており、勇壮な雰囲気を醸し出すカオスな屋台といえます。
昔は、神馬台の別名を「暴れ馬」といい、祭のときに隣りにあった組などとよくけんかをした話が有名。跳躍する白馬と2人の馬丁の人形を飾っています。
⑦仙人台(せんにんたい)
八幡祭の屋台行列は1718年の開始と伝えられ、その頃の屋台「湯(ゆ)の花」の組が分かれて仙人台の組ができたといわれる。明和から安永の始め頃に仙人台の屋台が造られたと推測されている。
1793年の記録には「仙人台」の名があり、当時は久米(くめ)の仙人と美女のからくり人形があった。1818年から1830年に改修。その後数度の修理を重ねて現在に至る。
文化改修工匠 | 古田与兵衛・浅井一之 |
構造 | 四輪車内板車 | 唐破風屋根
屋台組 | 下三之町上組 |
最も古い形を残す、貴重な屋台といわれている。
なぜなら、他の屋台は唐破風の屋根から切破風に変わったが、唯一この屋台は、唐破風の屋根を残しているから。
屋根飾りには極彩色の龍が踊っている。
昔は「粂の仙人と美女」の操り人形があった屋台。内容は、久米の仙人が、洗濯する美女の美しさに見とれて雲上から墜落するというからくりがありましたが、風紀上よくないという代官の差し止めによって明治初期に廃止。
現在に至るまで、祭神として仙人の像のみが飾られています。
⑧行神台(ぎょうじんたい)
八幡祭の屋台行列の始まりといわれる1718年に屋台4台が曳かれたが、その1台「湯の花」から分かれて創建されたといわれる。1831年に改修。1875年の大火で一部が焼失。1883年に恵比須台より部品を譲り受け再興された。
1903年に、破損のため休台。その後1951年に大修理をして50年ぶりに復活。屋台蔵も建造された。1968年、1984年も修理。
構造 | 四輪内板車 | 切破風屋根
屋台組 | 下三之町中組 |
高山祭屋台の中で唯一正面入り口の扉となっている屋台。
この地域を開いた行者の得を慕い、祭神として役小角(えんのおずの)の人形を飾っている。
創建年代は、1718年以前と言われており最古の屋台の一つ。大火で一部類焼し再興した際に神社建築の様式を取り入れた。
屋台下部に神社の玉垣をデザインし、白い房が6か所下げてコントラストを美しくしている。
⑨宝珠台(ほうじゅたい)
創建年代未詳。1772年から1781年の創建説もある。1828年から1829年に大改造。1908年にも改修され現在の台形に改められた。
以後、数度の改修をして現在に至る。
文政改造工匠 | 中洞村喜三郎 |
明治改修工匠 | 村山民次郎 |
構造 | 四輪内板車 | 切破風屋根
屋台組 | 下三之町下組 |
中段には金銀の大宝珠3個が飾られており、屋根には、耳がついている2匹の雌雄の亀がいる。
耳があることに関して、「飛騨には海がなく、ウミガメを見たことがない。想像で作った結果、耳がついた。」と言われていたが、実は龍が生んだ九頭の神獣なので亀ではないと発覚した。
棟飾りの雌雄の大亀は、屋根を軽くするために和紙に漆をかけた一閑張りでできている。
ケヤキの一枚板で作られた台輪は、高山の屋台の内で一番美しいとされている。
⑩豊明台(ほうめいたい)
創建年代未詳。はじめは「芦刈(あしかり)」という台名でからくり人形があったといわれた。1835年に改造。この頃の台名も八幡宮の祭神応神天皇の豊明宮(とよあけのみや)に因み、「豊明台」と改められた。
1900年から1902年に大改修。その後も数度の修理をして現在に至る。
明治改修工匠 | 村山民次郎 |
構造 | 四輪外御所車 | 切破風屋根
屋台組 | 大新町1丁目 |
3年かけて大改修を行い、飛騨の匠の大工、彫師、金具師、塗師などの技術を凝縮した絢爛豪華な屋台である。
改修前は、中段部分を天皇が即位する高御座(たかみくら)を模した台形であったため、現在は大幕に唯一八角形の形を残す屋台。
上段の菊花彫刻、下段は唐獅子、中段は牡丹と十二支の彫刻をつけ、祭に華やかな彩を添えている。
⑪鳳凰台(ほうおうたい)
創建年代未詳。1818年に再興され、1851年から1854年に改修が行なわれた。
1907年から1910年に大修理。その後数度の補修をして現在に至る。
嘉永改修工匠 | 谷口延恭 |
彫刻 | 谷口与鹿・浅井一之 |
明治改修工匠 | 村山民次郎 |
構造 | 切破風屋根 四輪内板車 |
屋台組 | 大新町1・2・3丁目 |
下段の谷越獅子の彫刻は、高山の屋台彫刻で最大のもの。正面と左右から見ることができる。
また、見送り幕は2枚あり、試楽祭と本楽祭とで架け替えている。鳳凰の幕と墨絵の龍の幕があり、どちらも必見!
上段屋根部分には大型の金の鳳凰。中段部分には総坪3万坪の金具装飾が施されており、地の赤に浮き出るデザインです。
多額をかけて改修した、贅沢なつくりである。
秋の高山祭の屋台が鑑賞できる場所
秋の高山祭 | (10月9日・10日) ・屋台曳き廻し (10月9日午後のみ) ・からくり奉納 (10月9日・10日) ・宵祭 (10月9日夕方のみ) | ・屋台曳き揃え
高山祭屋台会館 | (毎日) | 4台の屋台を鑑賞できる
実は、秋の高山祭の屋台を祭以外の日でも鑑賞できる場所があります。
高山祭に行けない方や、混雑していない場所で別日にゆったり見たい方は、下記の記事から確認してください!
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秋の高山祭の内容・歴史とは?
- 享保三年から続く祭である(300年以上の歴史)
- 11台の屋台が、国指定重要有形民俗文化財に登録された(1960年)
- 国指定重要無形民俗文化財となった(1979年)
- 「高山祭の屋台行事」として、ユネスコの世界無形文化遺産に登録された(2016年)
高山を秋の彩りで染める秋の高山祭(八幡祭)は、旧高山城下町北半分の氏神様である櫻山八幡宮の例祭。
毎年10月9日・10日に開催されます。高山祭とはこのふたつをさす総称で、日本三大美祭のひとつに挙げられています。
祭の起源は飛騨の領国大名金森氏の時代(1585年から1692年)、屋台の起こりは1718年頃といわれ、巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や仕掛けが施された戻し車など、匠の技が生きています。
高山祭の屋台の歴史
600年間ものあいだ、飛騨の国は大和朝廷へ「税」のかわりに匠(たくみ)を毎年100人〜150人送り出していました。匠たちは、奈良の都の宮殿やお寺の建築に従事して腕をふるい、「飛騨の匠」と呼ばれるように。
飛騨の国には、今も匠たちの永い伝統と培われた技術が脈々と受け継がれていますが、江戸時代後期に花開いた技術が高山祭の屋台です。
木工・塗り・彫刻・金具・織り・染め・絵画・人形に飛騨の匠がこだわった結果、最高のかたちを屋台でつくり出しています。
屋台が火災や破損によって改修される度に、他の屋台組には負けまいと、凝った装飾が考案され形態も少しづつ変わっていきました。
高山にいくつも「屋台組」があるのはお互いをライバル視していたから!
秋の高山祭行事の時間・スケジュール・見どころを紹介!
下記のスケジュールで開催する、秋の高山祭行事の見どころをご紹介します。
秋の高山祭で、屋台や行事を見ることができる時間帯(スケジュール)はこちらです。
屋台曳き廻し (八幡祭のみ) | 10月9日 13時30分~16時00分頃 ※櫻山八幡宮の参道北(不動橋方面)にて町内を巡る |
御神幸 | 10月9日 13時20分頃~15時30分頃 10日 8時30分~12時・13時30分~16時頃 ※櫻山八幡宮を出発し、お役所を訪れるルート |
屋台曳き揃え | 10月9日 9時~17時頃 10日 9時~16時頃 ※櫻山八幡宮の表参道にて公開 ※雨天時は、それぞれの屋台蔵・屋台会館にて公開 |
からくり奉納 | 10月9日 ①12時~12時20分頃 ②14時~14時20分頃 10日 ①11時~11時20分頃 ②13時~13時20分頃 ※櫻山八幡宮の境内にて公開 ※約20分間の披露 |
宵祭 | 10月9日 18時15分~20時30分頃 ※櫻山八幡宮の参道南(江名子川方面)にて町内を巡り、各屋台蔵へ戻る ※約2時間の披露 |
効率よくまわるために、事前に見たい行事をチェックし行動計画を立てることがおすすめ!
御神幸
御神幸(ごしんこう)とは、闘鶏楽(とうけいらく)、裃姿(かみしもすがた)の警固など伝統の衣装に身をつつんだ総勢100名の大行列。お囃子や雅楽などを奏でながら町を巡ります。
大迫力の獅子舞も登場する御神幸の始まりは、代官所に祭を執り行う挨拶に向かった江戸時代の行事。
10月9日は午後に櫻山八幡宮を出発し町を巡り、10日は午前に櫻山八幡宮を出発。お旅所を経由して櫻山八幡宮へ帰ります。タイムスリップしたかのような光景が見ものです。
表参道が、写真映えスポットです!
屋台曳き揃え
秋の空の下に、各町内の屋台蔵から曳き出された屋台が揃えられます。国の重要有形民俗文化財に指定された、きらびやかな屋台11台は圧巻の光景!
10月9日・10日とも、からくり奉納を披露する布袋台は八幡宮境内に設置されます。他の10台の屋台は表参道に登場。
屋台彫刻や見送幕、構造の細部まで鑑賞できる機会とあって、屋台を見た瞬間に感嘆の声が漏れるはず。
絢爛豪華な屋台は、抜群の写真映え!
屋台曳き廻し
10月9日午後のみ行われる屋台曳き廻しは、秋の高山祭だけの貴重な行事。春の高山祭では屋台曳き廻しを行わないので、秋の高山祭で必ず鑑賞してほしいです!
4台の屋台が町を巡る姿を眺められます。神楽台・鳳凰台は毎年登場。残る2台は布袋台を除く屋台から交代で参加します。
登場しない屋台は高山祭屋台会館に展示しているので、鑑賞しに行くこともおすすめ。入場料はかかりますが、人があまりいない空間で鑑賞でき楽しめますよ!
屋台が転回する大迫力の曳き回しは、見逃し厳禁です!
からくり奉納
櫻山八幡宮境内では10月9日・10日とも1日2回、布袋台によるからくり奉納が披露されます。2体の唐子が棒を渡って布袋様に飛び移り、布袋様が軍配を一振りする巧妙なからくりが見どころ。
9人が、36本の綱(糸)を操り繊細な演技を披露します。綱さばきによる動きとは思えない、人形たちの演技に魅了されますよ!
精巧な動きが魅力的なからくり奉納は、20分ずつ・計4回行われます。意外と短時間なので、見逃さないように注意しましょう。
1台のみからくりを披露するので、場所取りはお早めに!
宵祭(よいまつり)
10月9日の夕方から始まる宵祭は、観光客の気分が最高潮に達する大イベント。約100個の提灯を灯した屋台が町を巡り、一巡りしたあと各屋台蔵へと戻ります。
ゆったりとした伝統の曳き別れ歌「高い山」を歌う祭囃子が見もの。ゆらゆら揺れる灯りが闇夜に映え、秋の情感をかきたててくれます。
提灯を灯した屋台が幻想的な雰囲気です!
秋の高山祭のやし(出店)の出店場所は?
お祭りで「屋台」というとたこ焼きなどの「露天」「出店」「香具師」を思い浮かべる方が多いはず。
櫻山八幡宮周辺~弥生橋・宮川の東側通り沿いに、まとめて出店しています。
ちなみに高山祭では「屋台=祭屋台」なので、出店のことを「やし」と呼びます!
たくさん食べ歩きグルメがありますよ!
秋の高山祭の交通規制・駐車場について
秋の高山祭では、屋台が曳き揃うエリアの交通規制を理解する必要があります。
当日、屋台を見る場所や駐車場を何時間も探す羽目になった…と、後悔しないよう事前に下記の記事で情報をいれておきましょう!
\秋の高山祭りに行くなら必見の内容/
まとめ
今回の記事はいかがでしたか?
毎年10月9日・10日に開催する、秋の高山祭が楽しみですね!様々な魅力をもつ11台の屋台の情報を、頭に入れて鑑賞してみてはいかがでしょうか?
祭の当日を、楽しく過ごすお役に立てば幸いです。
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